お祝い電報 日本てどんな国

こんにちは。


お祝い電報は贈っていますか。


お祝いごとはありませんか。


そんなにしょっちゅうあるわけじゃないですよね。


前回の続きのような話ですが、外国から見た日本がどんなイメージをもたれているのかわたしは興味があります。


海外旅行をするまで、当たり前のようですが自分に日本人の自覚はありませんでした。


しかし外国に行ってみると、どうも日本人のイメージが気になったり、日本製の商品が人気だと嬉しかったりして、自分に母国愛があることを自覚したものです。


わたしは前にボロボロの格好をしてインドを旅行していたとき、インド人から「ビンボー」と声をかけられたことがあります。


確かにそのインド人の格好は、わたしの着ていた服よりもずっとファッショナブルでキレイでした。


しかしそのあと「ビンボーカントリー」と言われ、思わず「国は貧乏じゃない!!」と日本語で返してしまったものです。


わたしが個人的に貧乏なだけで、国の問題ではないのです。


しかし自分のせいで日本が貧乏だと思われてしまい、なんとも悔しい思いをしたものです。


このときわたしは自国を愛しているということ、自分に愛国心があるということを知ったのです。

お祝い電報 海底ケーブルの話

こんにちは。


お祝い電報贈っていますか。


わたしは毎週贈っています。


大人になるといろいろな付き合いというものがありますよね。


そんな距離のある相手に対しても便利な電報ですが、今回は海底ケーブルがしかれたときの話をしたいと思います。


日本の電信網は明治初期からどんどん広がりました。


1875(明治8)年には北海道から九州まで電信線でむすばれたそうです。


意外と早い段階で完成してますよね。


明治初期なんてほとんど幕末です。


幕末なんてほとんどちょんまげです。


ちょんまげなんてほとんどハラキリですよね。


そう考えると大変なことです。


外国人のなかには、いまだに日本にハラキリの文化があると思っている人がいるそうです。


教養がないのか日本にまったく興味がないのか知りませんが、イメージというものはなかなか取り去ることが難しいのですね。


現代の日本人は、ハラは切りません。


忍者も見たことないですし、手裏剣は個人的に持っていますが投げたりはしません。


つまらない国です。

今時のお祝い電報 2

安田火災海上保険では、全国自動車保険整備工場協会(AIR)の役員約130人の誕生日にお祝い電報を送っています。


年間契約のため発信はすべてNTTサイドで処理され、いちいち電報を打つわずらわしさはありません。


この誕生日電報を始めたのは、昭和62年に同社のAIR企画室長だった梅田さん。


「当社とAIRとは、緊密な関係を保たないと、いい仕事ができない。


そこで、AIRとどのように一体感を築くか思案して、役員さんの誕生日電報を思いついたんです」


・・・と梅田さん。


梅田さんのアイデアは、今もひきつがれています。


「つい先日も、AIRの役員の方からお礼の電話をいただき、とても喜んでおられました。


私なんか誕生日電報なんてもらったことがないから、うらやましい感じもありますね」


・・・と現在のAIR企画室長は言います。

今時のお祝い電報

経費的には、1通につきお祝い電報料(同社の場合、21文字で490円)と「デラックスおし花電報」の料金1000円だけ。


しかも、配達日と贈り先の1年分のリストをNTTに渡して自動的に配達してもらうシステムにしているため手間がかかりません。


そのうえ「配達希望日3日前までに申し込めば150円割安」という割引制度も使えます。


ただし、大変だったのは社員の結婚記念日調査。


すぐに教えてくれる社員も多かったのですが、なかには「忘れたよ」の一点張りで庶務課の女性が追いかけ回して1ヵ月後にやっと"白状"した人もいたそうです。


「実はその人、結婚記念日を奥さんに聞けなくて、奥さんが買い物に出かけている間に結婚式のビデオ
を引っぱり出して日付を調べたんですって。


そしたら、その現場を奥さんに目撃されて事情を説明させられ、記念日を忘れた罰にクリスマスのディナーショーをプレゼントさせられたとか」。


そんなつらい思いをする社員もいますが、それも一度だけのこと。


わざわざお礼の電話や手紙が社長あてに届くこともあり、


「そんなときは会社と社員の家族は直接つながっているんだな、と改めて認識しますね」と社長もうれしそう。

お祝い電報の歴史 4

お祝い電報の歴史について。


このようなスピード建設の完成も、政府が国策事業として経済性を無視し強力な国家権力をもってこの推進に処したことにありました。


もし社会的要請に基くものであるならば、果してこのような結果が得られたでしょうか。


大いに疑問とするところです。


従って、強行策なるが故に各地に多数の軋礫を生んでいます。


建設の際における土地の収用、踏荒した土地の補償問題などに端を発し、建設反対への気運は当初非常な勢いでつのっていったのです。


4年9月、山陽道線測量に際して起った、広島県下の暴動事件、9年の熊本神風連による電信局襲撃事件の蜂起などがそれです。


以上は史料の伝える主な事件であって、電信をめぐる騒じょうはその他に大なり小なり各地に頻発したのです。

お祝い電報の歴史 3

あまり知られていない、お祝い電報の歴史について。


その後、日清戦争の勝利に基く償金2億3千万両の獲得を導因とする金本位制の確立に裏づけられて、軽工業部門の近代化がほぼ完了するに至りました。


しかし、次いで日露戦争前後における重工業部門の発展に伴いそれは全面的に確立されました。


また、日露戦争の勝利は企業熱を急激に高める結果となりましたが、こうした傾向も明治末期に至り、やや低調の兆候を現わしはじめます。


電信事業は、このような時代的背景のもとに明治2年9月、文字どおり文明の先駆として創業されるに至りました。


そして明治新政権は、電信事業の育成助長に対してすさまじい熱意を示したのです。


従って、遂行した拡張対策は全く徹底したものでした。


同2年、東京・横浜間における電信架設に端を発したネットワークが短期間に全国を結んだ事実が十分量書しています。


つまり3年8月、主要回線工程の第一歩として横浜.長崎間の架設工事に着手、これを6年に終了し8年までには東京・青森間を完成。


これと並行してできていた函館・札幌間が、同年には函館・小樽間に延長されるとともに、津軽海峡の海底線をもって本州と連絡しました。


この年には九州長崎から本州を縦断して、北海道小樽に至る縦貫幹線の建設を既に完了していたわけです。


14年ころに四国、北陸、奥羽、山陰などのローカル線の脈絡の完成をみています。

お祝い電報の歴史 2

何かお祝いごとなどがあると贈る、便利なお祝い電報


その電信の歴史についてです。


維新後、封建的身分制度の崩壊、秩禄処分、地租改正、新貨幣制度の樹立など、一連の政策によって、旧幕府封建制度の基礎を根底から崩壊させるとともに、原始的資本地区製を行うに至りました。


こうして政府はみずからも交通通信機関を興し、鉱山を開発し、あるいはまた諸種工業を設立・経営し、さらには会社制度の移植による私企業に特殊な保護育成をも加えたのです。


このような改新政策は、非常な速度で進展していきます。


しかし、明治13年に行われた財政緊縮方針を転機として、政府みずからの経営になる諸事業も、軍事上その他国策的見地から政府の手に確保する必要のあるものの以外は、徐々に民間に払い下げるに至りました。


23年、憲法発布のころには、日本経済は一応近代的組織を整え、ほぼ資本主義国家の体制を備えるに至ります。


そして日清戦争直前のころの諸産業は、政府の保護育成の手を離れ、本源的資本蓄積の過程を一応終えていたのです。

お祝い電報の歴史

お祝いなどに贈るお祝い電報


その電信の歴史を、明治時代から振り返ってみたいと思います。


明治維新は、封建制度の崩壊により日本の近代化が形成された一大社会変革でしたが、同時にそれは資本制生産方法による発達支配への出発点をなす画期的変革でもありました。


その基調をなすものは、徳川幕府300年にわたる封建権力を倒して、資本主義的生産方法に自由の道を開くことにありました。


しかしながらこの急激な転化も、実は封建日本の内に自主的に芽生えた力によって遂行されたものではなく、当時すでに高度の発達を遂げていた列国の先進資本主義の圧力に促されて行われたものでした。


明治新政権がその成立以来「富国強兵・殖産興業」の二大スローガンを高く掲げ、資本主義生産方法の育成に努力した事情も、実はここにその淵源があったのです。

お祝い電報と親戚付き合い

●宿泊するとき

食事にお風呂、夜具の準備に翌朝のこと・・・。

泊まり客のお世話は、受け入れ側の主婦にとっては気の重いことばかりです。

実家やよほど親しい間柄でなければ、こちらから「泊めてください」とは言わないもので、好意に甘えるにしても、相手から「どうぞお泊まりください」と再三すすめられてからにします。


夏休みやお正月に帰省して、長期間滞在するようなときは、精神的にも経済的にも相手に相当な負担を掛けますから、それなりの配慮が必要です。

お客様気分でなく、台所や家業の手伝いをして普段の暮らしを乱さないように心掛けます。

とかく実家は自分の家のように振る舞いがちですが、兄嫁さんなどが両親と一緒に生活しているときは、その家の主婦がいることを、心に留めて節度を持って過ごすことが大事です。

心からお礼がしたいときには、何か慶事のときにお祝い電報を送ってあげましょう。


●宿泊の約束と準備

宿泊の予定が立ったら、なるべく早く相手に連絡し、相談します。

実家とはいえ、都合を尋ねるのがマナーです。

また、相手に余分な手間をかけさせないように、次のような身の回りの物は忘れず持って行きましょう。


1.洗面用具、化粧品、パジャマ、タオル

2.セーターのようなくつろげる衣服

3.寒い時期はソックスや足カバー

4.幼児が一緒なら、ビニールシートや余分な下着、おむつなどのオネショ対策も完壁に

お祝い電報と親戚との付き合い

●遠方の実家や婚家を訪ねるとき

親は「子供が近くに住んでいてくれたら」と心細い思いをしています。

折にふれて手紙を出したり、定期的に電話をかけて近況を報告し合いましょう。

うれしいことがあったら、まず先に夫の両親に報告します。

お祝い電報を送るとさらにいいでしょう。

実家はその後で。

親が高齢で健康が気遣われるときは、近所の方にときどきのぞいていただき、変わったことがあれば知らせていただくよう、お願いしておきましょう。

●夫の両親と同居するとき

まずはその家のやり方を姑に尋ねることから始めましょう。

家庭によって、家事のやり方や漬け物の漬け方、料理の味付けなどはさまざまです。

素直に従って習得するのが賢い方法です。

ここはこう変えたらいいんじゃないかしら、など改善すべき点に気づいても、いきなりは言わず、しばらくして何でも言えるような時期になったら話してみましょう。


●共働きや自営業の家では

共働きや自営業をしていると毎日は大忙し。

親や姑に子供の幼稚園の送り迎えやその後の世話を頼むこともあるでしょう。

可愛い孫とはいえ、活発に動き回る子供の面倒を見るのは大変なことです。

重い責任もかかってきますから事前に納得いくまで話し合い、それなりのお礼をすることも必要です。

もちろん子育てをするのは、あくまでも親なのですから自分たちのビジョンをきちんと持ち、主体性を失わないように。


●舅、姑と夫がいさかいをしたら

いさかいが収まるまで無関心を装うのがいちばんです。

親と子の間には、他人が推し量れない特別の絆があります。

うっかり口を挟むと、とんでもないことになりかねません。

同調したり、非難したりするのは禁物です。