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2010年08月 アーカイブ

お祝い電報の歴史 3

あまり知られていない、お祝い電報の歴史について。


その後、日清戦争の勝利に基く償金2億3千万両の獲得を導因とする金本位制の確立に裏づけられて、軽工業部門の近代化がほぼ完了するに至りました。


しかし、次いで日露戦争前後における重工業部門の発展に伴いそれは全面的に確立されました。


また、日露戦争の勝利は企業熱を急激に高める結果となりましたが、こうした傾向も明治末期に至り、やや低調の兆候を現わしはじめます。


電信事業は、このような時代的背景のもとに明治2年9月、文字どおり文明の先駆として創業されるに至りました。


そして明治新政権は、電信事業の育成助長に対してすさまじい熱意を示したのです。


従って、遂行した拡張対策は全く徹底したものでした。


同2年、東京・横浜間における電信架設に端を発したネットワークが短期間に全国を結んだ事実が十分量書しています。


つまり3年8月、主要回線工程の第一歩として横浜.長崎間の架設工事に着手、これを6年に終了し8年までには東京・青森間を完成。


これと並行してできていた函館・札幌間が、同年には函館・小樽間に延長されるとともに、津軽海峡の海底線をもって本州と連絡しました。


この年には九州長崎から本州を縦断して、北海道小樽に至る縦貫幹線の建設を既に完了していたわけです。


14年ころに四国、北陸、奥羽、山陰などのローカル線の脈絡の完成をみています。

お祝い電報の歴史 4

お祝い電報の歴史について。


このようなスピード建設の完成も、政府が国策事業として経済性を無視し強力な国家権力をもってこの推進に処したことにありました。


もし社会的要請に基くものであるならば、果してこのような結果が得られたでしょうか。


大いに疑問とするところです。


従って、強行策なるが故に各地に多数の軋礫を生んでいます。


建設の際における土地の収用、踏荒した土地の補償問題などに端を発し、建設反対への気運は当初非常な勢いでつのっていったのです。


4年9月、山陽道線測量に際して起った、広島県下の暴動事件、9年の熊本神風連による電信局襲撃事件の蜂起などがそれです。


以上は史料の伝える主な事件であって、電信をめぐる騒じょうはその他に大なり小なり各地に頻発したのです。

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